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「馬祖ビエンナーレ2022」何回かに分けてお届けしていきたいと思います
2022年2月12日から、4月10日まで、台湾の離島・馬祖(まそ/ばそ)で、初となるビエンナーレ「馬祖國際藝術島 Matsu Biennial(以降「馬祖ビエンナーレ」と記載します)」が開催されました。
「馬祖ビエンナーレ」オフィシャルサイト
https://matsubiennial.tw/
光栄なことに、私もご招待いただいて馬祖へと赴き、キュレーターやアーティストの皆様から直々に作品をご紹介いただく機会に恵まれました。
この「馬祖ビエンナーレ」にどれほどの意義があるのかをお話しようとすると、とてもとても長くなると思います。
それは台湾が抱える複雑な歴史や事情をよく表すものなのですが、私の未熟な知識と拙い言葉でどこまでできるかわかりませんが、できるだけのことはお伝えしていきたいと思っています。もし、読んでくださった方の中に訂正や補足すべき箇所などを見つけられた方がいらっしゃいましたら、ぜひご指摘いただければ幸いです。
ということで「馬祖ビエンナーレ」に関しては、以降何回かに分けてブログを書かせていただきたいと思います。
台湾だけど、台湾とは全く違う、そしてそれもまた台湾の真の姿ーー「馬祖」について、簡単におさらい
台湾海峡の西北西に位置し、「台湾から最も遠く、中国大陸に最も近い台湾の離島」ーーそれが馬祖諸島です。
フォトグラファー林科呈が切り取った馬祖
台湾人の間でも「馬祖」は本島とはまた全く違う景色や文化があるとされていますが、日本人にとってしてみたらますます距離を感じるかもしれません。そこで、「馬祖ビエンナーレ」主催側からご提供いただいた写真を用いて、馬祖の姿をご紹介してみたいと思います。
台湾のフォトグラファー林科呈さんによる撮影です。
名称について
似た名前に「媽祖」という、台湾で最も広く信仰されている道教の女神があります。「馬祖」という諸島の名称はその女神に由来しているそうです。英語では「Matsu」と表記されます。
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使われている言葉について
馬祖では私たちが普段使っている「中国語(台灣華語)」ではなく、「馬祖語」と呼ばれる「馬祖閩東(福州)語」が使われてきました。若い世代は中国語を話す人も増えているそうです。
馬祖諸島の構成について
馬祖諸島は10の主要な島と、26の小さな島、合計36の島々から構成されていますが、現時点で人が住んでいるのは南竿、北竿、東莒、西莒、東引島の5つの島々のみで、全体で3588世帯、総人口は14000人ほど(東莒と西莒は「莒光」という郷にまとめて行政区分されています)。
台北から馬祖へのアクセス
台北からだと南竿と北竿にそれぞれ飛行機(国内線)が毎日飛んでいて、どちらへも片道およそ50分でアクセスすることができます。船も台北港(南竿まで片道約180分)や基隆(片道約480分)から出ています。
ただし! 馬祖は台風・強風や濃霧によって飛行機も船も欠航することが多いことで知られており、特に冬は強風、2、3〜5月あたりまでは濃霧のために欠航が出やすいのだそう。ある程度離島に閉じ込められるリスクを覚悟してから渡航することが必要です。
ほんの30年前ほどまでは台湾人にとっても「未知の世界」だった馬祖
今、平和の鍵を握る場所として世界中から注目される台湾海峡に位置し、“中国大陸に最も近い台湾の離島”として、馬祖は金門島とともに台湾にとって「軍事における最前線」の役割を担ってきました。
そんな場所ですから、1949年に国軍が国防施設を次々に建設して以来、台湾人でさえ立ち入ることが許されていませんでしたが、1992年11月7日に軍事管制が解除され、1994年5月31日に島への出入管制が全面的に解除されたことで、やっと、一般の台湾人が訪れることができるようになったのです。観光地として開放された今でも、軍地基地は存在しており、島内では多くの兵隊さんたちの姿を目にします。
馬祖観光については「交通部観光局馬祖国家風景区管理処」のサイトが参考になります。
まずは「馬祖ビエンナーレ」記者発表会&シンポジウムからお届けします
2022年1月22日。
信義にある誠品書店で、2月の開幕に向けて「馬祖ビエンナーレ」の記者発表会&シンポジウムが開催されました。
2021年にキックオフしたこの「馬祖ビエンナーレ」プロジェクトは、なんと2030年まで継続するという、壮大なスケールだというのです。
もともとその日は別の取材が入っていたのですが、ご招待のご連絡を受けて、「これは絶対に行かなければ」と思ったのを覚えています。
記者会見からシンポジウムを含めるとおよそ5時間という長い時間でしたが、馬祖から台北まで県知事を含む関係者がお越しになり、このプロジェクトに関わられた鄭麗君前文化部長・現文総副会長、そして本プロジェクトの総合プロデューサーである吳漢中さんのプレゼンなど、本当に学びが多かったです。
繰り返されていたのは「戦後の遺産を受け継ぐ場所が、これからはアートの島として再生していく」という、「未来を見据えてのプロジェクト」だということ。
離島をアートで地方再生するという文脈は日本の直島プロジェクトを彷彿させますが、記者発表会でお話を伺っていると、直島からインスピレーションを受けながらも、台湾らしく再解釈している面白さもあり、実際に訪れるのが待ち遠しくなりました。
都市自治体における文化・芸術のガバナンスについて、首長たちによる三者鼎談
記者発表に続くシンポジウムもものすごく豪華で、馬祖のある連江縣の劉增應県知事、基隆市の林右昌市長、新竹市の林智堅市長の三者鼎談が行われました。
お三方の入場とともにたくさんのメディアたちがどどどっと会場に流れ込み、熱気に包まれました。
基隆市と新竹市は、台北市と並ぶ北部の主要都市といって良いと思いますが、その二大都市の首長が、馬祖のある連江縣の県知事と、「都市自治体における文化・芸術のガバナンスについて」知見や経験をもとに話し合うという、夢のような企画でした。
基隆市政府都市発展処の徐燕興処長からも、基隆市がここ数年進めてきた都市再生プロジェクトについての講義があり、就任以来高い人気のある林右昌基隆市長のお話とともに、そちらもものすごく勉強になりました。
基隆市は「自殺率・離婚率・失業率」がとても高く、負債も史上最低を記録するなど、状況はかなり深刻だそうで、そんな基隆市の都市再生計画はぜひ改めて見つめてみたいです。
台湾がそうであるように基隆市も高齢化が深刻であるのに対し、新竹市は出生率が台湾で最高&平均年齢が38歳と、台湾で最も若者が多い都市なのだそう。
それぞれ抱える課題は違いながらも、首長として都市ガバナンスにどのように取り組んでいるかのお話はすごく興味深かったです。
グッとくる言葉はたくさんありましたが、
新竹市の林智堅市長の「首長として自分にできることは、市民たちの視点に立って判断すること」という言葉が素敵だなと思いました。
その話を新竹市市政顧問の王俊雄さんが隣で聞いてウンウンと頷かれていたのもいい光景でした。
さて、次回はいよいよ人生初の馬祖の地を踏み、「馬祖ビエンナーレ」についてのレポートを書いていきたいと思います。
今回のブログのタイトルにした「国軍のために仕えてきた」という言葉は、私が馬祖の人々から直に耳にした言葉です。一度ではなく、幾度も。本当に特別な場所でした。今こそ、この場所の意味を考えたいと思います。
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